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【イスラエル・UAE 国交正常化合意の陰の中東③】
- ベイルートの大爆発は、レバノンからヒズボラを吹き飛ばすだろうか? -

2020年 9月 8日

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企画調査部 研究主幹:布施 哲史

8月4日に起きたベイルートの港湾地区の大爆発は、200人以上の死者、数千人の負傷者と30万人以上の被災者を出す大惨事であった。 その損害額は、100 億ドルとも 150 億ドルともいわれている。レバノン治安当局は、爆発現場の倉庫に2014年から硝酸アンモニウム2750トンが保管されており、 これが爆発した可能性が高いとの見方を示したが、爆発に至った直接の原因についてはいまだ判明していない。



(ベイルートの爆発後に立ち上る煙 配信 NHK、写真: ソーシャルメディアの動画から=ロイター)





ベイルートでは、政府に対して爆発事故の責任を問う大規模デモが8日から連日行われ、 この圧力によりディアブ首相は8月10日の TV 会見で自らの辞任と内閣の退陣を表明し、アウン大統領もこの決定を承認した。 辞任したディアブ首相の後任は、8月31日にアディブ氏が指名されたが、組閣は難航しそうだ。



爆発の原因究明は、原因とされる硝酸アンモニウムの管理責任や、倉庫に貯蔵されるに至った経緯について、 ディアブ政権以前の政権も含めて、責任のなすりつけや非難の応酬が繰り返され、政治の機能不全に陥っている。 とはいえこの混乱は今に始まったことではなく、レバノン内戦以降の政治危機のたびに繰り返され、悪化の一途をたどっている。

レバノンの政治状態を語るとき、レバノンが18の宗派が混在するモザイク国家であり、各派への権力の配分により国家のバランスを取ってきたことに触れるのが常となっている。 権力の配分は利権の配分につながり、各宗派を率いる世襲のエリート層が、お互いに縄張りを持ち、相互に対立しては結びつく政治ゲームを繰り返して、レバノンを支配してきた。 その利権集団は、政界だけでなく経済界にも形成され、腐敗の温床となる。 そして、それぞれが外国勢力と結びつき、支援を受けてきた。



(1932 年の人口統計により定められた 1943 年の「宗派主義」 レバノンの宗派人口。ただし現在、正確なものがあるわけではなく、シーア派はもっと多いかもしれない。資料: All About レバノン政治基礎知識 2006)



(1932 年の人口統計により定められた 1943 年の「宗派主義」 レバノンのだいたいの宗派地区地図。ただし複数の宗派が混在している地域も多い。資料: All About レバノン政治基礎知識 2006)



(レバノンの国際関係 資料: Spectee)



この構造についてはどの宗派勢力・政党も大なり小なり同じようなものだが、主に話題となるのは、ヒズボラ(=アラビア語で「神の党」)だ。 ヒズボラはシーア派が中心となった政党であり、また軍事組織である。 そして米国政府によりテロ組織指定されている(GCC 及び日本も同様)。 EU 理事会はヒズボラの軍事部門をテロ組織指定している。

一方レバノンでは、ヒズボラは合法政党であり、ヒズボラの国会議員も、地方自治体の首長もいる。 そしてレバノンでは立場の弱かったシーア派の権利の擁護拡大と貧困状態の改善に取り組み、社会福祉や教育・医療にも取り組む社会福祉団体でもある。 レバノンの中で、利権と腐敗の政治諸勢力の中では、ヒズボラは「まだマシ」な勢力ととらえられ、シーア派以外でヒズボラを支持する者もいる。 ディアブ政権はヒズボラを中心とする政治ブロックが支え、ハリリ前政権もヒズボラとの妥協で成立した政権であることから、現代レバノンの政治はヒズボラを抜いては語れない。

(ヒズボラの指導者ナスララ師 画像: tabyincenter)



(ヒズボラの集会でナスララ師の肖像を持つキリスト教徒支持者 写真:AFP)



軍事組織としてのヒズボラは、イラン及びシリアのアサド政権と関係が深く、2012 年から続くシリア内戦ではヒズボラはアサド政権側に立って戦った。 過去には 1983 年にレバノン駐留米海兵隊宿舎に自動車爆弾攻撃を行い、2006 年のレバノン紛争では南レバノンに侵攻したイスラエル国防軍と戦っている。 そしていまやその力はレバノン国軍を凌ぐ。レバノン内戦中の1982年に、レバノンに侵攻したイスラエル国防軍への抵抗運動として結成された彼らの理念は、 イラン型のイスラム共和制をレバノンに作ることであり、反米の立場を取り、イスラエルの殲滅を掲げている。 このため、米国とイスラエルからすれば、ヒズボラは恐るべき「テロ組織」であり、「イランの手先」となる。

(資料: Cartoon by Barry)



こうしたヒズボラに対しては、支持するレバノン人もいれば嫌うレバノン人もいる。 どちらにしてもヒズボラはレバノンで大きな影響力を持っている。 しかしその影響力もこの爆発事件で風向きが変わるかもしれない。 爆発事件以前に、ヒズボラの支援国であるイランは米国の経済制裁により経済が疲弊し弱体化したことで、支援は後退せざるを得なかった。 また今年 6 月に、米国のシリア経済制裁であるシーザー・シリア市民保護法(所謂シーザー法)が正式に発動され、アサド政権とその周辺だけでなく、アサド政権を支えるロシア・イラン、 そしてシリア紛争と復興から利益を得たものも制裁対象とされ、シリアのみならず、歴史的にシリアと深い関係のあるレバノン経済をさらに窮地に追い込んでいる。 事件の当初に言われたような、爆発とヒズボラの間の直接的な関係はないのであろうが、爆発現場の港湾地区には各派が利権を有し、税関や港湾管理の不正も行われていたと言われる。 ヒズボラもその例外ではないだろう。と言うか、レバノンでの影響力を考えれば、その利権の最大の所有者の一つであったであろう。 それは大きな被害を受け、ヒズボラが影響力を有する政府と政治構造は、国民からの非難を受けている。

(ベイルートの抗議デモ ‘No arms, no Hezbollah’ 写真:AFP)



レバノン政府は、IMF と国際社会に数十億ドルの復興支援を求めている。 レバノンの旧宗主国であるところのフランスのマクロン大統領は、爆発事件後の 6 日にベイルートを視察し、支援を約束して、世界各国から2億5千万ユーロを超える援助を引き出すとともに、 支援の条件としてレバノンの政治腐敗や非効率運営、社会の改革を要求した。 IMF の最大の出資国である米国は、ヒズボラの影響力を弱める目的で、レバノンの有力政治家や実業家に対して腐敗防止制裁を課す準備をしていると伝えられている。 ヒズボラからすれば、米仏の要求は「はいそうですか」と言って飲めるものではない。 かと言って国際的な支援が得られない原因がヒズボラにあるとされれば、市民の非難を受けることになり、大きなジレンマとなる。

(マクロン仏大統領 写真:AP)



(資料: Republicworld)



他にヒズボラに関係するものとしては、ヒズボラの根拠地である南レバノンの、イスラエルとの国境地帯では、ヒズボラとイスラエル国防軍との間で、25日夜から発砲や空爆を伴う衝突が続いている。 イスラエル国防軍は 26 日にはこの地域のヒズボラの監視所を空爆した。 ネタニヤフ首相は「われわれに対するいかなる攻撃にも強硬措置を辞さない」と明言した。

(資料・Cartoon: Middle East Monitor)



(レバノン国境付近のイスラエル軍 写真:Flash90)



ヒズボラへの圧力をイラン包囲網強化の一環としてみれば、米国トランプ政権、イスラエル、そしてイスラエルと国交正常化を合意した UAE・湾岸アラブ諸国などが連携して、 イランと代理勢力への包囲の動きを進めていると見える。

(資料: ISRAEL365NEWS)



免責事項:本稿は著者の個人的見解であり株式会社INPEXソリューションズの見解ではありません。



(参考資料)

  • ・Energy Intelligence、Energy Compass、2020年8月7日、Lebanon::Tragedy Puts Spotlight on Establishment
  • ・Eurasia Group、Ayham Kamel、2020年8月10日、LEBANON:Government resignation will allow political opening
  • ・日本エネルギー経済研究所中東研究センター 中東研ニュースリポート、柳谷 あゆみ、2020年8月11日、レバノン:ディアブ内閣総辞職と爆発の被害状況
  • ・Middle East Eye、2020年8月13日、US preparing sanctions against Hezbollah's allies in Lebanon: Report
  • ・ウォールストリートジャーナル、2020 年 8 月 13 日、米、レバノンの政治家など制裁へ ヒズボラ弱体化狙う
  •  
  • ・中東調査会 中東かわら版 No. 56、2020年8月13日、レバノン:ベイルート港での爆発事件と政治の麻痺
  • ・Al-Jazeera、2020年8月18日、There is still much to be learned about the Beirut explosion
  • ・The Washington Post、2020年8月26日、Israel says it hit Hezbollah posts in Lebanon after taking fire
  • ・Al-Jazeera、2020年8月27日、Macron sends economic reform and rescue road map to Lebanon
  • ・AFP-時事通信、2020年8月27日、イスラエルとレバノン国境で衝突 ネタニヤフ氏、強硬措置の構え
  • ・日本経済新聞、2020年8月31日、レバノン新首相にアディブ駐独大使を指名 経済再建に改革急ぐ
  • ・中東調査会 中東かわら版 No.70、金谷 美沙、2020年9月3日、レバノン:ムスタファー・アディーブを首相指名