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中東は「五里霧中」の季節 -視界不良の中東各国の行く先-

2022年 10月 19日

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企画調査部 布施 哲史

内容

一部を除いて「不安定、不透明」が枕詞となる中東諸国だが、この秋は、メディアで注目されたもの、されなかったものを含めて、各国で、いずれもその国がもつ構造的な要因が関係する、突然起こった問題、長年引きずる未解決問題、失敗した問題などが重なった。今回はこれらの問題を国ごとに見ていく。 全てが暗く重い話だけでは救いがないので、希望が持てそうな話も交えて。

1.イラン : マフサー・アミーニー死亡事件、収まらない抗議行動

9月17日にイラン西部の街サッゲズで始まった抗議行動はイラン各地に広がり、4週間目に入ってもその収束は見通せないどころか、逆にそのすそ野は広がりを見せている。

イラン西部にはクルド人が多く住むが、事の起こりはサッゲズに住む22 歳のクルド人⼥性Mahsa Amini (マフサー・アミーニー)が家族と⼀緒にテヘランの親戚を訪問していたところ、9月13日に⾵紀警察に逮捕され、拘留中の9月16日に死亡したことにある。警察官による女性虐待だとの非難のなか、サッゲズでの葬儀の後に抗議行動が起こり、抗議行動はサナンダジ、ディバンダレ、バネ、ビジャールを含むイラン西部コルディスターン州(クルディスタンのペルシャ語読み)の他の都市に急速に拡がった後、瞬く間に全国に拡大した。

(マフサー・アミーニー、写真 Twitter)

(マフサー・アミーニーの死因についての情報戦)

  • ・「ヒジャーブ(⼥性が頭を覆う布)の着⽤⽅法が不適切」というのが逮捕の理由であった (ヒジャーブではなくズボンがタイトで足のラインが目立ったから、と言う説もある)。
  • ・家族に返還された彼女の遺体には殴打された跡があったとされる。
  • ・警察は、彼女は心臓発作を起こして救急搬送された病院で死亡が確認されたもので、殴打されたという主張を否定した。警察は、アミーニーとされる女性が突然椅子に倒れ込む様子が映っている警察内のビデオ映像を公開したが、この主張に彼女の家族は、「娘は健康だった」と異議を唱えた。
  • ・10月7日のTasnim紙は、イラン法医学機関 (LMO)の声明として、「マフサー・アミーニーは脳低酸素症の後に多臓器不全(MOF)で死亡し、頭や重要な身体器官への打撃によるものではない。」、「故人は8歳の時にテヘランの病院で脳腫瘍のために頭蓋咽頭腫の手術を受けていた。」、「彼女の医療記録のレビュー、脳と肺のCTスキャン画像、死体の検査と剖検、病理学検査は、死因が頭や重要な身体器官に打撃を与えていないことを示している。」との記事を載せている。
  • ・マフサー・アミーニーの父親は「娘は脳腫瘍となったことがなく、手術を受けたこともない。」と話している。
  • ・反イラン的立場の情報筋は、イラン政府はアミーニーが心臓病の病歴があることを示す医療記録を偽造した、と伝える。またイラン革命防衛隊元司令官の、アミーニーの死の理由は頭蓋骨の負傷であり、激しい殴打の結果である、と述べた匿名の「信頼できる情報源」を報告する音声ファイルを公開した。
  • ・イラン国会の評議会と内務委員会は、マフサー・アミーニーの死に関する報告書を発表した。報告書は、アミーニーが警察による拘禁中にいかなる種類の殴打も受けなかったことを確認した。報告書はまた、アミーニーの死について性急な発言をし、暴動を行った者は起訴されると警告した。

各地の抗議行動は武装警察などの治安機関と衝突し、双方に死傷者が出て、多くの逮捕者も出た。当局は抗議行動の拡大を抑制するため、9月21日からSNSを含むインターネットへのアクセスを大幅に制限している。

マフサー・アミーニーの家族には弔問の電話をしたと言うライースィー大統領だが、国連総会から帰国後の9月24日に、マフサー・アミーニーの殺害を非難する抗議者たちと「断固として対決する」と述べた。イラン国営メディアは、この日までの1週間に抗議行動で治安機関要員も含めて41人が殺害されたと報じている。

ハーメネイー最高指導者は10月3日にこの事件について初めて発言し、マフサー・アミーニーの死を「苦い出来事」と表現し、「私も非常に悲しんだ。」としながら、「この事件に対する正しい反応は、調査が確実になる前に街頭で騒乱を起こすことではない。これは自然な反応ではない。」、「これらの暴動は計画されていた。マフサー・アミーニーの死がなくとも、彼らは暴動を引き起こす別の言い訳を見つけただろう。これらの計画を立案したのは誰か? これらの計画は、アメリカ、シオニスト政権 (=イスラエル)、そして彼らの傭兵によって設計された。」 と述べ、イランで拡がる反政府抗議行動を、米国・イスラエルの策謀だと断じた。イラン革命防衛隊は9月24日以降、クルド反体制組織(イラン・クルディスタン民主党(KDPI)、クルディスタン自由党(PAC)、イラン・クルディスタン・コマラ党)がイランのクルド人都市で暴動を煽る活動を強化し、抗議行動を利用して混乱を扇動し、武力攻撃を実行したとして、これら組織がイラクのクルディスタン自治政府地域にもつ拠点に対し、砲撃とドローン攻撃を続けている。これはこのハーメネイー最高指導者の発言に沿う動きであろう。

ライースィー大統領やハーメネイー最高指導者の言葉のとおり、抗議行動のデモ隊は治安機関による弾圧を受けているが、特に西部コルディスターン州、東部スィースターン・バルチェスターン州では激しい衝突が起きている。イラン指導部は、これまでのイスラエルとの間の「影の戦争」を踏まえて、シリアが内戦に至った例のような、外国勢力の介入による抗議行動の激化、過激化を警戒しており、これまでも反政府活動が発生するコルディスターン、バルチェスターンでの抑え込みを強める。

(イラン周辺の民族分布)

抗議デモは、若者、学生、若い女性を中心に拡がり、1か月を迎えたが、その収束は見えない。抗議デモは「女性、人生、自由」のスローガンを叫んで、女性の服装規制から進んで、女性の権利やイラン現体制の在り方そのものへの抗議を主張し、「独裁者に死を」の言葉が叫ばれる。この抗議行動は、10月10日にはイラン南部アサリーイェ、ブーシェール、ヘンガーム、キャンガーンの石油化学プラントの労働者たちのストライキにつながる。イランの石油部門では1年前に待遇改善を求める労働者のストライキがあったが、今回のストライキは全国に拡がる抗議デモへの連帯を示すものとされ、これまでのストライキとは性質が異なる。また、バザールの商店主の一部にも、抗議デモへの連帯を示すとして店を閉める者も現れている。

(テヘランの抗議行動、写真 AFP)

(テヘランの抗議行動、Iran International)

(Amwaj)

歴史を振り返れば、2009年のアフマディネジャッド政権2期目の大統領選挙の時のグリーン・ムーブメントでも大規模な反政府抗議行動が起こり、民主化要求が叫ばれた。あの時の抗議行動もイランの現政治体制を非難するものであったが、2010年からの国連のイラン核開発に対する経済制裁が始まる前であり、その時と比べれば現在のイランは、米国の「最大限の経済制裁」の下で経済が大きく傷ついている。政治体制への批判の下には、現体制の経済失策・無策、底なしの為替下落、失業・貧困と格差の拡大、そして経済制裁の下で現体制につながる一握りの層が利権を得て富を集める腐敗した構造に対する国民の怒りがある。格差を表すジニ係数はこの間増大し、今や米国と並ぶ。イラン革命の精神としてのイスラムの公平・公正の理念は実現されているのか?

(出典:Wall Street Journal)

パフラヴィー朝を倒した1979年のイラン革命では、国民の大規模な抗議行動に加えて、石油部門の公務員ストライキとデモが重要な分水嶺となり、バザール商人たちが抗議行動に加わることで、大きなうねりが生まれたと言われる。過去の例からか見れば、若者中心の今回の抗議行動がどのような拡がりを見せるのか、又は見せずに終わるのかが注目点となる。抗議行動の広がりはイラン革命時のそれと比べて小さいが、量の点の以外に質についても、イラン革命の時と今とを比べれば、大きな3つの相違点がある。

反体制武装組織の存在の有無。イラン革命以前にシャー体制に反対し、都市で政府へのテロを行う左翼武装組織(モジャーヘディーネ・ハルグ等)が存在し、反政府勢力は一定武力を持った。今、これに該当するものはない。

指導者、シンボルの有無。イラン革命では、亡命中であったルーホッラー・ホメイニーが精神的指導者であった。今、これに該当するものはなく、抗議行動は中心を欠いている。

体制側の(体制維持と弾圧の)覚悟の有無。イラン革命では、シャーは反政府デモへの弾圧を行う一方で、宗教勢力との間で事態の収拾と鎮静化を図った。反政府側はこの対応を「弱さの表れ」とみて、抗議デモと暴動は激化し、事態の悪化を食い止められないシャーはついに国外に脱出する。今、かつての反体制勢力が現体制を握っている。彼らはシャーを反面教師として、いくらかの歩み寄りはあっても、基本的に抗議行動に対しての取り締まりを強化し、体制護持のための弾圧には躊躇しない。またそのための武力装置であるバシジ、革命防衛隊を有しており、その威力はまだフルに発揮されてはいない。   何より、ハーメネイーやラィースィー達指導部には、シャーが逃げ込んだ米国は、ない。

今回の抗議行動の行く末は見えないが、今回の抗議行動の主体が専ら若い世代であることを考えれば、現体制の最重要課題と言われる「体制の安定的継続」にとって、これは長期的な不安材料であることは否めない。また困窮する経済を立て直さない限り、現体制への抗議行動の根は残り続けることになる。

イランが経済を立て直す上で、イラン核合意を復活させ、経済制裁を解除することが求められるわけだが、その核合意復帰交渉はこの夏に双方の歩み寄りが期待されたものの、結局交渉は停滞したまま秋を迎えている。そして今回の抗議行動へのイラン政府の弾圧に対して、米国と欧州は弾圧を主導した内務大臣や通信大臣等に対して新たな制裁を課している。米国務省のプライス報道官は10日の記者会見で核合意復帰交渉は「現在の中心課題ではない」と述べた。この状況の中で、イラン核合意復活交渉も五里霧中の中にある。

(1979年イラン革命、写真 Pars Today)

(1979年イラン革命、写真 Pars Today)

  • 中東研ニューズリポート イラン:最高指導者は健在、一方で抗議行動が勃発
     日本エネルギー経済研究所中東研究センター、坂梨 祥、2022年9月18日
  • Woman’s death after morality police arrest sparks outrage, division in Iran
     Amwaj Media, September 19, 2022
  • Iran targets Internet access amid fears of crackdown upon Raisi’s return
     Amwaj Media, September 22, 2022
  • Mahsa Amini: Raisi says Iran must 'decisively confront' protesters as death toll doubles
     Middle East Eye, September 24, 2022
  • IRGC Hits Terrorist Groups’ Bases in Northern Iraq
     Tasnim News Agency, September 24, 2022
  • 中東研ニューズリポート イラン:抗議行動が広がる中で革命防衛隊が反体制派の拠点を越境攻撃
     日本エネルギー経済研究所中東研究センター、勝又 郁子、2022年9月27日
  • Khamenei breaks silence on Iran protests, lays blame on US
     Al-Monitor, October 3, 2022
  • 中東かわら版 No. 95 イラン:ハーメネイー最高指導者が抗議デモについて初めて言及
     中東調査会、青木 健太、2022年10月4日
  • 中東研ニューズリポート イラン:抗議行動は断続的に継続
     日本エネルギー経済研究所中東研究センター、坂梨 祥、2022年10月6日
  • Iran’s Crippled Economy Sustains Protests After Religious Police Lit Flame
     Wall Street Journal, October 6, 2022
  • I US Sanctions Iranian Officials Over Crackdown on Protesters
     Voice of America, October 6, 2022
  • Mahsa Amini’s Death Unrelated to Blow to Head, Vital Organs, Autopsy Reveals
     Tasnim News Agency, October 7, 2022
  • Iranian leaders hold meeting as protests enter fourth week
     Al-Jazeera, October 9, 2022
  • Strikes return to Iran’s petchem sector as judiciary urges 'dialogue'
     Amwaj Media, October 11, 2022
  • Security forces reportedly fire on crowds as protests rock Kurdish city
     Al-Monitor, October 11, 2022
  • 中東研ニューズリポート イラン:石化部門の労働者たちがストライキを開始
     日本エネルギー経済研究所中東研究センター、坂梨 祥、2022年10月11日
  • Iran protests: UK sanctions morality police over violent crackdown
     BBC, October 11, 2022
  • Iran's Khamenei tells officials to 'act on their duties' amid ongoing protests
     Al-Monitor, October 12, 2022
  • Initiative in the hands of Iranian nation: Leader
     Tehran Times, October 12, 2022
  • U.S. says Iran nuclear deal is 'not our focus right now'
     Reuters, October 13, 2022
  • British JCPOA negotiator in crosshairs as Iran pins protests on ‘enemy’
     Amwaj Media, October 13, 2022
  • Parliament committee releases report on Mahsa Amini death
     Tehran Times, October 16, 2022

2.イラク : イラク国民議会空転1周年。新首相候補指名にこぎつけたものの、、、

2021年10月のイラク国民議会選挙から1年が過ぎた。しかし1年経っても新たな政府は成立せず、同じシーア派勢力の中の、ムクタダー・アル=サドル師を指導者とするサドル派の政党「サドル潮流」と、ヌーリー・アル=マーリキー元首相が主導するシーア派政党連合「調整枠組み」の間の政治闘争に明け暮れた。

その挙句、8月末にサドル師は政界からの「完全引退」を表明し、グリーンゾーンでサドル派支持者数千人及び武装したサドル派民兵と治安部隊が衝突した。それから1か月、9月半ばのアルバイーン(シーア派宗教行事)の期間を経て、9月下旬にイラク政局が動きだす。9月26日に、調整枠組みを主体としてサドル派を除く主要政党による「国家運営連合」が作られた。この連合には、これまでサドル派と連携して議会多数派政府を作ろうとしていた、クルド政党KDP及びスンナ派政党「主権連合」も加わった。国家運営連合は、サドル派との合意はできていないものの、組閣にあたってはサドル派にもポストを配分するとしており、目指すところは従来の「挙国一致政権」の樹立にある。

国民議会は3か月余りの空白を経て9月28日に再開され、議長(スンナ派のハルブースィ議長の再任)と副議長(シーア派のマンダラーウィ副議長を新任)を決めた。この議会再開にあたり、サドル派支持者は議会開催阻止を叫んでグリーンゾーンに押しかけたが、治安部隊により排除された。この時グリーンゾーンに3発のロケット弾が撃ち込まれ、治安部隊要員7名が負傷している。おりしも10月1日は、3年前にアブドゥルマフディー前首相を辞職に追いやった全国的な反政府抗議デモが始まった日とされ、今年もバグダッドのタハリール広場では数千人規模の集会が開かれ、国民生活を無視して内紛を繰り返す政治エリート層を糾弾した。グリーンゾーンに向かった抗議デモは治安部隊に阻止され、数十名の負傷者が出ている。

(10月1日 バグダッドで治安部隊と衝突するデモ参加者、写真:Reuters)

抗議行動はイラク各地で行われ、バスラでは1日以降も衝突が続き、複数の死者が出ていると報道されている。またナシリヤでは10月3日に抗議者による政府施設への放火事件が起こっている。

(10月1日のナシリヤのアル・ハッブービ広場、写真:AFP)

調整枠組みが手練手管で作り上げた国家運営連合の成立により、国家運営連合が議会の2/3を占めたことで、次のステップとして大統領と首相の選出に進むことが可能となったが、話はそう簡単には進まなかった。先行するクルド枠である大統領の選出のための、クルド政党のKDPとPUKとの間での大統領ポストの妥協に手間取り、新大統領選出議会が開かれたのは10月13日で、グリーンゾーンに9発のロケット弾が撃ち込まれる中、PUKのアブドゥル・ラティーフ・ラシードが新大統領に選出された。選出直後にラシッド大統領は新首相にムハンマド・シヤーウ・アル=スーダーニを指名した。スーダーニはこれまで汚職事件などの疑惑には無縁な清廉な人物との評判で、今は無所属だが、マーリキー政権やアブドゥルマハディ政権で閣僚を務めてマーリキーとは近く、調整枠組みが7月に首相指名した人物である。今回もこれが引き金となって、7月のようにまたサドル派支持者による大規模な抗議デモや国民議会占拠が起こるかもしれない。スーダーニの組閣期限は30日あるが、スーダーニの新首相指名はさらなる不安を引き起こす。

(ブドゥル・ラティーフ・ラシード、写真:Twitter)

(ムハンマド・シヤーウ・アル=スーダーニ、写真:Wikipedia)

何とか政治勢力間の妥協により新政権ができたにせよ、サドル派の支持者を動員した干渉は続くであろうし、なにより国民の間では利権をむさぼる政治エリート層政治家への不信感は強い。これがイラクの政治と治安の不安定要素として続けて存在する。また政治的対立がシーア派勢力内部の勢力争いに移ったことで、シーア派住民が多数派となる南部諸都市での抗議行動も多発している。今後この状況が悪化するか、南部の油田や石油施設への影響があるかは注視していく必要がある。

  • Clashes rock Baghdad's Green Zone as Iraqi parliament re-elects speaker
     Al-Monitor, September 28, 2022
  • 中東研ニューズリポート イラク:国民議会が再開、北部ではイランの攻撃激化
     日本エネルギー経済研究所中東研究センター、吉岡 明子、2022年9月29日
  • Thousands of Iraqis gather to mark 2019 anti-government protesturity Council
     Al-Jazeera, October 1, 2022
  • Iraq situation ‘highly volatile,' envoy warns Security Council
     Al-Monitor, October 4, 2022
  • Year After Iraq Vote, UN Urges Dialogue to End Gridlock
     Voice of America, October 11, 2022
  • Iraqi lawmakers elect Abdul Latif Rashid as new president
     Al-Monitor, October 13, 2022
  • Iraq’s new prime minister-designate: Who is Mohammed al-Sudani?
     Al-Jazeera, October 13, 2022
  • Iraq: MPs elect new president, Abdel Latif Rashid, as rockets fall on Baghdad
     Middle East Eye, October 13, 2022
  • 中東研ニューズリポート イラク:新大統領と首相候補を選出(前編)
     日本エネルギー経済研究所中東研究センター、吉岡 明子、2022年10月14日
  • 中東研ニューズリポート イラク:新大統領と首相候補を選出(後編)
     日本エネルギー経済研究所中東研究センター、吉岡 明子、2022年10月14日
  • Deep Dive: Iraq has a new president, on track for new government
     Amwaj Media, October 15, 2022

3.イエメン : 半年間続いた休戦が失効、再び戦火は拡大するのか

10月2日、イエメンの休戦合意が失効した。「世界最悪の人道危機」と言われたイエメン内戦だが、イエメン正統政府の大統領評議会およびサウジアラビア・UAE等のアラブ有志連合と、フーシー派の間で2022年4月に成立した2か月間の休戦合意は、これまでに6月と8月の2回延長され、ほぼ半年の間維持されていた。

国連や米国、欧州、オマーンなどを中心に、大統領評議会とフーシー派の休戦再延長に向けた仲介・支援が行われていたが、失敗に終わったことになる。グリンベド国連イエメン特使は大統領評議会とフーシー派双方と休戦延長交渉を行い、9月21日の国連安保理でもイエメン休戦継続の必要が確認され、休戦長期化提案が行われていた。大統領評議会側はこの提案を、留保点があるとしながらも原則受け入れていたが、フーシー派は、支配地域の公務員給与の支払いや、サナア空港・ホダイデ港への封鎖の全面解除などを条件としていた。フーシー派の理屈としては、空港・港湾の封鎖全面解除は、市民生活や人道援助の必需品輸入に不可欠だ、と言うものだが、大統領評議会側・有志連合側としてはこれによりフーシー派が軍備増強を図ることを恐れており、受け入れがたいものであったのであろう。結果、休戦期限までの合意に失敗した。

(出典: Global News View、2022年7月14日、イエメン紛争:新たな段階)

(出典: Global News View、2022年7月14日、イエメン紛争:新たな段階)

6か月の休戦期間中、フーシー派が支配するサナアでは生活物資の流通が改善され、ビジネス状況も改善されたということであったが、休戦失効によりまた「世界最悪の人道危機」と言われた以前の状態に戻ることになる。さらに言えば、ウクライナ戦争の長期化による食糧価格高騰とエネルギー危機により、食糧・燃料輸入は更なる困難に直面することが考えられる。

休戦中も戦火が絶えていたわけではないが、休戦失効と共にタイズ州やフダイダ州でフーシー派と政府軍との交戦が伝えられた。戦闘再開で懸念されることは、フーシー派がサウジアラビアとUAEの石油施設に対して弾道ミサイルやドローンによる越境攻撃を行うかどうかだが、10月3日にフーシー派のサリーファ報道官はツイッターで、「UAEとサウジアラビアで操業する石油会社に撤退する機会を与える」と述べて、その可能性を示唆している。

悪化するイエメン状況ではあるが、サウジアラビアのファイサル外相や大統領評議会のアフメド外相は、「休戦延長交渉を続ける」と述べており、フーシー派の越境攻撃がないうちは休戦延長合意の一縷の望みがある。

ところで話は変わるが、10月11日のAmwaj Mediaは「Will Germany-UAE energy deal involve gas from Yemen?」という記事を載せた。話は9月25日のドイツのショルツ首相とUAEのムハンマド大統領の会談時に合意された、エネルギー安全保障協力協定に関してのものだが、この協定の中に、UAEが今年後半にドイツにLNGを試験出荷し、2023年までこれを行う話がある。Amwajの記事は、UAEはイエメンのLNGをドイツに供給するのではないか、と推測している。

(合意締結記念写真 左から ブランタナー経済・気候相、ショルツ首相、ムハンマド大統領、ジャーベル気候特使、写真:WAM)

イエメンには約30億バレルの石油と17兆平方フィートの天然ガスが存在し、原油生産は2001年のピーク時には44万b/dを記録し、2009年に稼働したYemen LNGは年間700万トンのLNGを生産した。しかしイエメン内戦で原油生産は2018年には1万6,000 b/dに減少し、Yemen LNGは2015年に生産を停止していた。今年4月の休戦合意により、原油生産は5~6万b/dに回復して、休戦継続で更なる回復が期待され、Yemen LNGについてもオペレーターのTotalEnergiesは、CEOのパトリック・プヤネが年末までの運転再開の可能性を語っていた。ちなみにマリブ油ガス田群及びマシラ油田群と、石油積出港、Yemen LNGがある地域は、UAEが支援する南部暫定評議会勢力の支配地域にある。

(イエメンの油ガス田、パイプライン、LNG施設、出典:JOGMEC)

アブダビのADNOCはLNG生産能力を増強するため、オマーン湾に面するフジャイラに年間960万トンのLNG施設を建設するが、この完成は2026年であり、今年・来年の話ではない。他にどこからか調達するとすれば、、、と言うことで、Yemen LNGの稼働とそこからの供給、という類推に至る。なんとなく信ぴょう性を加える傍証として、ネットニュースから以下のことを伝えている。

  • ・UAEの情報機関がオマーンでフーシー派と会合を持った。ここで、イエメンで操業する石油会社に対するフーシー派の脅迫について懸念を伝えた。
  • ・アミリ・イエメン大統領評議会議長がドイツの駐イエメン大使と面談し「二国間関係」について議論した。
  • ・UAE当局者はオーストリア・フランス・ドイツの当局者に、イエメン南部のLNG事業を保護すると約束した。
  • ・アブダビは、フーシー派が示した休戦継続の条件(フーシー派政府の給与支払い・サヌア空港とホダイデ港の完全再開)の促進を申し出て、イエメンの石油・ガス収入の一部をホダイデのイエメン中央銀行に預ける申し出をした。

なにやら「近江商人 三方良し」みたいな策動だが、当然と言えば当然のごとく、このアブダビの行動はサウジアラビア当局者を怒らせたともある。

UAE(アブダビ)の思惑がどこにあるのか、色々あるだろうが、戦禍を避けるものとなればよいのだが。

  • OPTIMISM ABOUT YEMEN LNG AS CEASEFIRE HOLDS, FOR NOW [GAS IN TRANSITION]
     Natural Gas World, May 25, 2022
  • イエメン紛争:新たな段階
     GLOBAL NEWS VIEW、2022年7月14日
  • Yemen: fighting resumes after truce ends
     Middle East Monitor, October 3, 2022
  • Does the end of Yemen’s truce mean return to full-blown fighting?
     Al-Jazeera, October 3, 2022
  • 中東かわら版 No. 94 イエメン:停戦期限が終了、フーシー派が越境攻撃の可能性をほのめかす
     中東調査会、高尾 賢一郎、2022年10月4日
  • Yemen truce expires as UN keeps pushing for broader deal
     Middle East Monitor, October 4, 2022
  • 中東研ニューズリポート イエメン:休戦合意は失効、フーシー派はサウジ・UAEへ警告
     日本エネルギー経済研究所中東研究センター、保坂 修司・堀拔 功二、2022年10月5日
  • Yemen's Houthis should be more flexible over truce deal, says US Envoy
     Middle East Monitor, October 5, 2022
  • FM: Yemen gov't keen to renew ceasefire with Houthis
     Middle East Monitor, October 6, 2022
  • End of Yemen’s truce leaves civilians afraid dark days are back
     Al-Jazeera, October 7, 2022
  • Will Germany-UAE energy deal involve gas from Yemen?
     Amwaj Media, October 12, 2022
  • Saudi Foreign Minister says efforts to extend the truce in Yemen still stand
     Middle East Monitor, October 12, 2022
  • 中東かわら版 No. 102 イラク:新大統領の選出及び首相指名の余波
     中東調査会、高尾 賢一郎、2022年10月17日

4.サウジアラビア : 200万b/d減産決定で米国の虎の尾を踏んだのか

7月のバイデン大統領のサウジアラビア訪問とムハンマド皇太子(MbS)との面談で関係修復に動いた米国とサウジアラビアの関係は、10月5日のOPECプラスの200万b/d減産決定により元の木阿弥となるのだろうか。

(OPEC+会合後の記者会見、写真:AFP)

OPECプラスのリーダーであるサウジアラビアは、今回の200万b/d削減決定について解説し、それは現在の不確実性の高い世界経済の見通しの上に立って、2008年や2020年の原油価格暴落リスクを避けるための、純粋に技術的な考慮に基づく先制的な生産量削減であり、特定の価格帯維持を目標とするものではなく、戦略備蓄放出、ロシア産原油制裁、プライス・キャップ等の消費国側の市場介入を鑑みた、市場の安定を図るための措置だ、とした。またウクライナ戦争でロシアを支援することを目的とする政治的動きでもないと主張する。サウジアラビアにとって今回の削減は、ワシントンに反対してロシアの味方をした、と言うよりも、OPECプラスを維持することも含めて自らの利益を最優先した結果である。アブドゥルアジーズ・エネルギー大臣は「我々は何よりも、サウジアラビア王国の利益、そしてOPECとOPECプラスの国々の利益を考えている。」と語っている。確かにサウジアラビア、MbSが掲げるサウジビジョン2030、その実現には膨大な資金を必要とし、目玉プロジェクトの新都市NEOMの建設だけで5,000億ドルの費用が掛かる。このためには原油価格の下落は何としても避けねばならない。サウジアラビアの今年の財政均衡油価は79ドルだと言われている。そうした経済的事情の他にも、国際政治の大枠から見れば、同盟国とは言いながら、中東への関与を低下させる米国に対して、サウジアラビアは不信感をつのらせており、米国との関係は維持しながら、ロシアおよび中国との関係を強めることで、外交・安全保障の多様化を図ろうとしている。

(記者会見のアブドゥルアジーズ・エネルギー相、写真:AFP)

(最近のサウジアラビアの財政収支、出典:ARAB NEWS)

(産油国の財政均衡油価、出典:日本経済新聞)

サウジアラビアは今回の200万b/d削減を提案するに際して、事前に米国に通知しており、米国当局者は削減を行わないようにロビー活動を行ったが、これは無視された。また米国国家安全保障会議のカービー報道官によれば、削減発表後も米国はデータを示しながら、削減を次のOPECプラス会合まで待つように要請したが、これも無視された。これでは「バイデン政権の面目丸つぶれ」と言うところだ。米国の要請を続けて拒否したことはサウジアラビア外務省も認めている。またカービー報道官は、OPECプラスの200万b/d削減はロシアの石油価格を高く保ち利益をもたらすだけであり、「リヤドの石油政策の方向は間違っている」とも非難した。加えて、OPECの決定は全会一致が原則であり、今回のOPECプラス閣僚会合の削減決定も「全会一致」とされているが、カービー報道官は「他のOPEC諸国はサウジアラビアから削減を支持するよう強制されていると感じたと個人的に米国に語った。」と言っている。湾岸産油諸国はこのカービー報道官発言を否定している。

バイデン政権の要請がことごとく無視されたことに対して、バイデン政権はサウジアラビアとの関係が国家安全保障上の利益となっているかの「見直し」を行うとしている。バイデン大統領自身もサウジアラビアに「結果」が生じる、と言った。米国議会の反応はさらに強く、メネンデス米上院外交委員長(民主党)は米国のサウジアラビアに対する協力を全面的に凍結するよう促し、サウジアラビアを「経済的利益に突き動かされて戦争犯罪人(=プーチン大統領)を支援する道を選んだ」と非難した。

バイデン政権はOPECプラスの決定を声高に批判している。リヤドは、この米国の強い反応を、中間選挙前の政治的ポーズと見ている。サウジアラビアの当局者は、安全保障上の共通の利益が依然として両国の間にあると主張し、サウジアラビアのジュベイル外務担当国務相は、「サウジアラビアと米国の関係が壊れているとは思わない。それは非常に強固だ。」と言う。歴代政権を通じて米国の中東政策の基本は、同盟国イスラエルの安全保障であり、中東の安定維持にある。一般に考えられている石油資源の確保は、これに比べれば劣後する。この観点からすれば、イランとその同盟勢力の懸念が存在する中で、米国がサウジアラビアとの安全保障での協力関係を断ち切ることは難しい。米国は中東への関与を減らそうとしているが、ウクライナ戦争により示された湾岸の炭化水素資源が持つ世界経済に対する重要性を認識して、より慎重になっている。また、米国の措置によりサウジアラビアの対米不信が増幅されれば、ロシア・中国への傾斜度合いも増すことにもつながる。

(ジョン・カービーNSC報道官、写真:Reuters)

(アデル・アル=ジュベイル外務担当国務相、写真:AFP)

(ボブ・メネンデス上院議員、写真:Bloomberg/Getty)

とは言え、米国の反応を「ポーズ」と見るサウジアラビアの味方は正しいのだろうか? 確かに米国とサウジアラビアの関係は中間選挙後に、または将来の共和党政権下で改善する可能性はあるが (実はそれを期待して待っているのだろうが)、米国議会のサウジアラビアに対する厳しい姿勢は今に始まったことではない。バイデン政権においては、事態が改善しない限りいくつかの措置がとらえる可能性がある。米国の選択肢は、

  • ・外交の格下げ: 7月に実現したバイデン大統領-MbS間の外交相手とする関係を、以前に戻す。
  • ・武器販売の停止: 米国上院と下院で、武器販売を1年間停止する法案が提案されている。ジュベイル・サウジアラビア外務担当国務相は、「サウジアラビアへの防衛兵器販売は米国・サウジアラビア双方の利益であり、中東の安全保障と安定の利益に役立つ」と言う。
  • ・軍隊の撤退: 米国議会にサウジアラビアとUAEから米軍を撤退させる法案が提案されている。しかしイランとの核合意再建交渉が進まず、中東地域におけるイランの行動が引き続き懸念される状況では、米国がサウジアラビアとの安全保障での協力関係を断ち切ることは難しい。
  • ・石油戦略備蓄の追加放出: 米国は3月に発表した1億8000万バレルの放出分をすべて売却した。また来年8月まで3000~5000万バレルからそれ以上の放出を行うものとみられる。トゥルク・エネルギー副長官は「まだ数億バレルある。」と言っている。
  • ・OPECプラスを米国独占禁止法の対象とする: 所謂「NOPEC法」。今可決させるには中間選挙まで間がない。またサウジアラビアや他のOPEC諸国が制裁リスク回避で米国の投資から撤退するかもしれない。また逆に多国間協議の場で米国の産業がターゲットにされるかもしれない。
  • ・ベネズエラへの制裁緩和: マドゥロ政権次第。
  • ・イランへの制裁緩和: 可能性は低い。

米国はどのカードを切ってくるか? お互いに相手を必要としながら、対話の言葉を失ってしまったような今の米国とサウジアラビアの間に、かつての「特殊な関係」はもう戻ってはこないのだろうか?

  • 33rd OPEC and non-OPEC Ministerial Meeting
     OPEC, October 5, 2022
  • OPEC+ agrees output cut of 2 million barrels per day despite US concerns
     ARAB NEWS, October 5, 2022
  • US Democrats rally against Saudi Arabia, UAE after oil cuts
     Al-Jazeera, October 6, 2022
  • OPEC+ output cut decision to sustain markets, not raise prices: Saudi Energy Minister
     ARAB NEWS, October 6, 2022
  • Production cut fueled by budgetary issues, but geopolitical impact will prove significant
     Eurasia Group, October 6, 2022
  • OPEC減産、米国で勢い増す報復論 解体も視野に
     ウォール・ストリート・ジャーナル日本語版、2022年10月7日
  • Al-Jubeir: Saudi Arabia does not politicize oil or oil decisions
     ARAB NEWS, October 8, 2022
  • Senior U.S. senator wants 'freeze' on Saudi cooperation, blasts Riyadh
     Reuters, October 11, 2022
  • サウジの減産決定、米の先送り要請拒否していた
     ウォール・ストリート・ジャーナル日本語版、2022年10月12日
  • ‘Total rejection’: Saudi denies any anti-US motive to OPEC+ cut
     Al-Jazeera, October 13, 2022
  • 中東研ニューズリポート サウジアラビア:大幅減産決定後の米国との対立
     日本エネルギー経済研究所中東研究センター、近藤 重人、2022年10月14日
  • What Are US Options for Saudi 'Consequences'?
     Energy Intelligence, October 13, 2022
  • Saudi Arabia pushed other OPEC nations into oil cut, White House claims
     Reuters, October 14, 2022
  • OPEC+ row: Bahrain, Oman insist consensus on output cut after 'Saudi pressure' claim
     Middle East Eye, October 16, 2022

5. レバノン : イスラエルとのEEZ境界画定合意で、雲の切れ間に光が差す

「視界不透明」なことばかりの中東で、先週、雲の切れ間が見えたのは、レバノンとイスラエルのEEZ境界画定合意だった。このEEZ境界画定は、ウクライナ戦争後のロシア産ガスに代わる、欧州への新たな天然ガス供給地として注目が集まる「東地中海ガス田」の開発に弾みをつける。

(東地中海ガス田、出典:JOGMEC)

イスラエル沖で埋蔵量約8兆立法フィートの大規模なTamarガス田が発見されたのは2009年のことであった。その後、イスラエル、キプロス、エジプトの沖合でLeviathan、Aphrodite、Zohr等の大規模ガス田が続けて発見され、注目を集める。ただ情勢が不安定で隣接国・地域との間で紛争を抱える地域であることと、ガス消費地となる欧州への輸出ルートの問題があり、ローカルな消費が主であった。これがウクライナ戦争による欧州へのロシア産ガスの代替え地として注目され、様々な動きが起こる。この一つがレバノンとイスラエルのEEZ境界画定合意だった。

隣り合うレバノンとイスラエルは中東戦争の戦争状態が継続している形で国交がなく、陸上の境界も厳密には画定していないのだが、海上の境界も合意されていなかった。イスラエルで海上ガス田が発見・生産されることで、隣のレバノンでもガス田の存在が期待され、レバノン沖に石油ガスの探鉱鉱区が設定されるが、両国の境界部は係争地域となる。イスラエル側で2013年に発見されていたKarishガス田(埋蔵量は3兆立方フィート前後)は、その北半分がレバノンの主張する境界のレバノン側に位置し、2022年第3四半期生産開始を目指して進んでいた開発作業に対して、レバノンはクレームをつけ、ヒズボッラーは7月にドローン3機を飛ばして開発作業を妨害し(このドローンはイスラエル軍によって撃墜される)、「生産が開始されれば行動を起こす」と警告を発した。一方のイスラエルが主張する境界は、TotalEnergiesがオペレーターを務めるレバノンのBlock-8に食い込む。そしてそこには、試掘対象構造であるQanaプロスペクトが存在する。

(イスラエルとレバノンのEEZ境界係争、出典:The Economist)

国家財政と国の経済が破綻し、危機的状況にあるレバノンは、海上ガス田開発で自前のエネルギー資源を得て経済を好転させることは切羽詰まった要求であり、EEZ境界画定はそのために必須となる。イスラエルにしても悲願の天然ガス輸出に向けてガス田開発を進めるために、EEZ境界を確定しておく必要がある。両国の境界線画定協議は、直接顔を合わせての協議ができず、8月に米国の仲介を得て進められたが、イスラエルにはネタニヤフ元首相、レバノンにはヒズボッラーという強硬派がおり、相互の歩み寄りが実るかは不確かな状況であった。合意が危ぶまれたEEZ境界画定交渉だったが、10月11日に暫定合意が成立し、仲介役の米国ではバイデン大統領が「中東における歴史的なブレークスルー」だと称賛した。翌12日にはイスラエル政府が合意を確認して、13日にはレバノンのアウン大統領が合意を受け入れると発表した。イスラエルではこのあと2週間の議会による審査期間がある。ヒズボッラーは「公式に署名がなされるまで、合意は認めない」と述べているが、つまりは署名されれば受け入れるということだ。この合意はまだ発効はしていないが、今後成立しない可能性は低く、国交がなく対立してきたイスラエルとレバノンの間で境界合意ができたことは、画期的と言える。

今回の合意の内容は12日のHaaretz紙がその全文を掲載している。要約すれば、

  • ・レバノンとイスラエルが米国に合意受け入れの正式通知を送り、米国が合意成立の告知を行った時点で発効する。
  • ・レバノンとイスラエルは個別に境界の座標を国連に提出し、2国間の合意がない限るこれ以降新たな座標を国連に提出しない。
  • ・境界のラインは、ライン23に沿って定められる。
    これによりKarishガス田はイスラエル側となり、イスラエルはヒズボッラーの攻撃を懸念することなくKarishガス田の開発を進めることができる。
    Block-9のQanaプロスペクトは大部分がレバノン領となるが、南西端がイスラエル領に入る。
  • ・Block-9の探鉱作業に際してオペレーターが境界ラインの南で行う作業について、イスラエルは異議をさしはさまない。
  • ・イスラエルはQanaプロスペクトの潜在的利益に権利を有しており、Qanaで油ガスの発見があり、生産移行した際にはイスラエルはオペレーターから報酬を得る。
    ただし利益配分については、明記されておらず、将来の協議と合意にゆだねられていて、そこ時期はFID時とされている。
    ここでの要点はイスラエルへの利益配分はオペレーターとの間の合意であり、これについてレバノン政府は何ら関知しないとしてある。レバノンとイスラエルは国としては没交渉のままとなる。
  • ・認識されているプロスペクト以外に今後認識される境界ラインをまたぐ資源については、着手前に米国を介して相手側の情報にアクセスして評価し、対応を検討する。

(イスラエル及びレバノンのEEZ境界首長と合意(23ライン)、 出典:MEE)

この合意が発効することで、当面イスラエルとレバノンが得る利益は、イスラエルはヒズボッラーからの攻撃の脅威にさらされることなくKarishガス田の開発を進めることができる。レバノン側としては停滞していたBlock-9の探鉱を開始できる。イスラエルはガス生産量を増加させ、国内消費余剰分を輸出に振り向けることが可能となり、レバノンは探鉱が成功すれば、ガスの生産までは時間と資金がかかるにしても、商業生産にこぎつけて、エネルギー不足の解消に貢献する。尤もそのためには、レバノンの非効率的な政治運営の改革がなされなければならない。

(Karishガス田の掘削作業を行うStena DrllMax、 写真:Reuters)

(Karishガス田のFPSO、 写真:AFP)

EEZ境界画定合意は、Karishガス田をめぐる紛争の可能性を回避する他に、中長期的に地政学的リスクのある程度の軽減が可能となる。レバノン並びにイスラエル沖合の石油ガス探鉱への投資が促進されるであろうし、いくつかの探鉱の成功と生産施設が建設されることで経済的利益が生じること、またその経済的利益の存在が戦争のリスクを抑制する方向に働くだろう。実際この合意のニュースのあと、カタールが、レバノン政府が保有するBlock-9の20%シェア (NOVATEKが撤退した分をレバノン政府が保有。他はTotalEnergiesが40%、Eniが40%を持つ)の取得に関心を示している。

(レバノン会場鉱区、出典:Al-Jazeera)

またこのEEZ境界画定合意の波及効果として、アラブ・ガスパイプラインを介したエジプトからレバノンへのガス供給契約が実行される可能性がある。パイプラインがシリアを通ることで、シリア制裁の問題から実施が見送られていたが、境界画定合意を契機にレバノンの改革が始まれば、米国の(非公式な?) 制裁免除もある。また東地中海全域のガス探鉱及びガス開発が進むことで、欧州に対するロシア産ガスの代替え供給地としての東地中海の地位が上がる。(一番得をしているのはイスラエルなのだろうなぁ。次はエジプトかしら。)

しかしこのEEZ境界画定合意は、2年前のアブラハム合意とは根本的に異なる。合意は米国を介してのものであり、イスラエルとレバノンの直接の交渉・合意ではない。イスラエルとレバノンは和平条約のない、国交のない、依然とした敵国同士である。ヒズボッラーも、今のレバノンの経済的惨状では、イスラエルとの戦争どころではないとの認識で、境界画定に異を唱えていないのであろうし、基本の思想が変わったわけではない。この晴れ間が広がるのかどうかは今後を見てみないとわからない。

  • Lebanon's Hezbollah launches three unarmed drones towards disputed area with Israel
     Middle East Eye, July 7, 2022
  • Karish gas field: Are Lebanon and Israel preparing for war?
     Middle East Eye, September 2, 2022
  • Lebanese prime minister praises US mediation toward gas deal with Israel
     Al-Monitor, September 22, 2022
  • Israel-Lebanon maritime deal: Domestic pressures deflate gas deal optimism
     Middle East Eye, October 5, 2022
  • After collapse of Lebanon maritime deal, Israel fears Hezbollah attack
     Al-Monitor, October 7, 2022
  • Israel says agreement reached with Lebanon over maritime border dispute
     Middle East Eye, October 11, 2022
  • US touts 'historic breakthrough' on Israel-Lebanon maritime border
     Al-Monitor, October 11, 2022
  • Full Text: Final Version of Israel-Lebanon Maritime Border Deal
     Haaretz, October 12, 2022
  • Hezbollah to 'remain vigilant' amid Israel-Lebanon maritime border deal
     Middle East Monitor, October 12, 2022
  • 中東かわら版 No. 100 イスラエル・レバノン:海洋境界線について暫定合意
     中東調査会、金谷 美沙、2022年10月12日
  • 中東研ニューズリポート レバノンとイスラエル:EEZ境界画定で合意
     日本エネルギー経済研究所中東研究センター、立山 良司、2022年10月12日
  • Lebanon officially approves maritime border deal
  • Lebanon-Israel Border Deal Heralds New Chapter
     Energy Intelligence, October 13, 2022
  • Maritime gas deal with Israel will defuse tensions somewhat
     Eurasia Group, October 13, 2022
  • Qatar Eyes Lebanon Offshore Stake
     Energy Intelligence, October 14, 2022
  • What to know about the Israel-Lebanon maritime border deal
     Al-Jazeera, October 14, 2022

(番外) パレスチナ・ガザ : 発見から23年、Gaza Marineガス田開発はガザ復興の希望

ガザ沖合い Med Yavne 鉱区内の Gaza Marine ガス田(推定埋蔵量 1.7tcf)は、BG が1999 年にパレスチナ自治政府と 25 年間のガス探鉱・開発に関する契約を調印し、探鉱を進めて発見された。BGは90%シェアを持ち、レバノン系の有力ファミリーが保有する Consolidated Contractors International Company(CCC)が10%を保有した。BGはイスラエルへの発電用のガス供給を交渉していたが、2007年に交渉は中断したままだった。その後BGは2015年にShellに買収され、2018年にShellはこの鉱区から撤退し、ガス田はパレスチナ投資基金(PIF)とCCCの所有となっていた。PIFはガス田開発に投資する企業を探してきたが、実を結んでこなかった。

(Gaza Marineガス田、出典:MEES)

パレスチナはこのガザ沖ガス田の権益を有していることから、2020年に結成された東地中海ガスフォーラム(EMGF、エジプト、キプロス、ギリシャ、イスラエル、イタリア、ヨルダン、パレスチナ)の参加国となっている。

エジプトとパレスチナ自治政府は2021年2月にGaza Marineガス田の開発に関する覚書を締結しており、国営ガス会社EGASが開発を行うとしている。最近の報道によれば、エジプトは「ガザのガスを開発して利益を得るために、イスラエルを含むすべての当事者と接触している」として、2022年内の合意を目指して、CCC・PIF・EGAS、そしてイスラエルを交えた協議が行われていると言う。合意ができれば、EGASが開発作業を始めて、2年以内の生産開始を目指す、と伝えられる。

イスラエルが合意するかについては、レバノンとイスラエルのEEZ境界画定合意が好影響をもたらすとの期待がある。

問題はガザ地区を実効支配するハマスであり、ハマスは協議当事者には含まれていない。ハマスで天然資源管理を担当するスハイル・アル=ヒンディーは「我々は占領者(=イスラエル)に対して、海洋資源、沖合天然ガス資源に対する我々の権利へのいかなる侵害に対して警告する」と述べている。イスラエルは合意において、ハマスがガザ沖合のガスからいかなる利益も得てはならない、と主張している。エジプトがこの問題でハマスをどう扱うか、抑えられるのか、抜け道を作るのか、注目される。

(ガザの漁港に立つ看板、写真:AFP)

Gaza Marineガス田が開発され、ガザ地区の発電用に供給されれば、停電に苦しむガザ地区の住民の救いとなり、また経済発展の起爆剤となろう。

  • Egypt ready to help with Gaza Marine natural gas field
     Al-Monitor, July 3, 2022
  • Palestine-Egypt agree to develop a gas field in Gaza
     Middle East Monitor, October 10, 2022
  • Egypt is set to take part in developing Gaza's offshore gas field -officials
     Reuters, October 12, 2022
  • Egypt mediates talks to develop Gaza offshore gas
     France24, October 14, 2022

(以上)

免責事項:本稿は著者の個人的見解であり株式会社INPEXソリューションズの見解ではありません。